リポート

月 日 11月27日(日)
時 間 10:00〜15:30
参加者 伊藤・井鍋・川窪・北村・下南・武本・角田・那須・堀江・松崎
森本・武田 (敬称略)

活動内容
・ピクニック広場上部にて間伐作業
・竹材伐り出し
・12/10(土)森の台小学校での活動紹介開催準備
・参加者全員でバッタ作り実施研修(指導 武本講師)
・鋸・大鉈の手入れ

連絡事項
・12/10(土)9:00〜12:00森の台小学校にて活動紹介あり
里山研究会では作品の見本展示・他
五年生有志による研究発表・他
・指定管理者制度養成の勉強会
霧が丘公園こどもルグハウス「きりっ子ランド」管理者募集について
・横浜市民による里山育成事業
どんな活動をしているかを閲覧する
・神奈川県知事よるかながわ地球環境賞を「丹沢森の仲間たち」に表彰されることになっ

提案事項
・個人の行動記録のルールを決めてメール利用してはどうか
・近隣の歴史探訪をしたらどうか
・忘年会の開催 12/25(日)16:00〜 中山駅前
次回活動
・12/11(日)9:00〜
自然観察会 森本インストラクター 題「水辺の自然を楽しもう」

雑  記 「桂」の葉がすっかり落葉した。伊勢原の町から、大山を左手に見て日向川に沿って登ると 程なく日向薬師に着く。霊山寺という古刹である。そこに桂の樹で造られた平安時代の仏像 がある。私の母校の近くに「桂高校」という女子高があった。スキー競技が強く、冬季新聞紙上 に学校名が載ると懐かしさを感じたものだった。〜青垣なせる山また山のくしぶる眺め〜 この校歌「全国カラオケ大会」に優勝した時テレビから流れ聴いた瞬間は驚いた。
通学列車を降りて15分程は方向が同じで、実に楽しげに語り合う二人の後姿を見つめながら 当時読んでいた 『雪の記憶』の志野雪子に想いを寄せていた心情が蘇る。
この小説は、倉本聡が脚本を手掛け 『北国の街』として映画化された。「若山美子」という女性がいた。彼女は新婚旅行の旅先で夫と共に挑んだマッターホルン北壁に若い命を落とした。
新田次郎著 『銀嶺の人』のモデル小説に若林美佐子の名で登場する。谷川岳コップ状岸壁の登攀記録は、今井通子 『私の北壁』で紹介されているが、ほとんどトップで登攀したと聞く。
厳冬期エベレスト初登頂後、行方不明となった加藤保男等と交友があった。
彼女が実際鎌倉彫に造詣があったかは知らないが、今でも彼女に憧れを抱く若い女性は多い。
石坂洋次郎は青森出身の作家だが、当時教員をしていた弘前中央高校を舞台に 『若い人』を書いた。吉永小百合が主演し話題となったが、悪名高い私小説作家「葛西善蔵」に酒代を払わされ、滞在費の肩代わりをさせられ、当時25歳の薄給の身だったが、とうとう隣県の女子高へ移ったと云われているが、あるいはこの「桂高校」へだったのかもしれない。
そういう理由で「桂」の名は想い出の中で強く生きている。
石坂洋次郎は晴朗な人のようだった。十三湖を〜波ひとつない。船も浮かんでいない
ひっそりしていて、そうしてなかなかひろい。人に捨てられた孤独のみずたまりである〜
と表現した「太宰治」。上手い。こんな文章を私には書けない。
司馬遼太郎は〜東北人にしばしば見られる高度の市民感覚とか、精神の貴族性といった
ものは、説明しがたい。透き通った怜悧さ、不合理なものへの嫌悪。独創性。精神の明るさ。
独立心。名利のなさ。もしくは我執からの開放といった感じである〜と 『街道をゆく』で著している。
(武田・記)